咲と阿知賀の表情から見た、麻雀に対するスタンスの違い


咲-Saki-』の福路美穂子と『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』の福路美穂子を並べましたが、どちらがどちらかわかるでしょうか?(笑)
早速答えると、上段が咲で、下段が阿知賀です。明らかに異なるのが【表情の影】で、目にかかるほどの影が『咲-Saki-』ではほぼ常時描かれています(ただし前髪を分けているキャラ等は除く)。この特別な処理が、番外編の阿知賀編では行われていません。同じシリーズでありながらこの明確な変更、何らかの意図があるように思います。そこでアレコレと妄想してみようというのが今回の記事です。

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咲-Saki-』4話のメイド服に引いている咲と興味津々の和というコミカルなシーン。

ところでこの目元まで影のある映像とは、具体的にどのような印象を受けるものなのでしょうか。そこで【影】について調べてみました。事象からイメージされるものの手がかりとして便利なものが、国語辞典や類語辞典です。
【影/景】@goo辞書(大辞泉)
項目が多いのでおおまかにまとめると1.光 2.映し出す姿としての実像ないし虚像 3.存在を印象付けるもの 4.不吉な兆候 といった感じです。
【陰/蔭/翳】@goo辞書(大辞泉)
1.物に遮られて日光や風雨の当たらない所 2・物事の表面にあらわれない部分 3.表にはっきり現れない、人の性質や雰囲気の陰気な感じ 光の当たらない事を指しているようです。
【影】@weblio類語辞典(横断検索)
【影】という日本語から連想されるイメージの言葉が並びます。ざっとみると、光・光線などによってできる影が黒いことによる【暗さ】から類推される言葉が多いように感じます。

実際『咲-Saki-』の導入は非常に暗いんですよね。第一話アバンで初めて捉えたアップのカットでは、人物の影と木陰の、2段階の複雑な影の処理がなされています。家族麻雀のトラウマで3連続プラマイ0になってしまう咲と、中学全国大会優勝者にも関わらず麻雀で軽くあしらわれてしまう和。
こんな二人の邂逅が和気あいあいとしたものであるわけがない。プラマイ0を邪魔しようとしたり、無神経にプライドを傷つけたり、負け続けるのが可哀想だと手加減したりと非常にスリリングなやり取りが続きます。
咲に対し繰り返される描写に【驚き&萎縮による涙&太もももじもじ(トイレ)】と【試合会場で道に迷う】があります。家族麻雀でトラウマを植え付けられ、一家離散となってしまった彼女が、最強の女子高校生である姉と会うために全国大会出場を目指す物語。その心の機微を物語に映した良い影だといえます。

しかし、咲が全国大会を目指す理由はそれだけではないんですよね。部や合宿を通じて麻雀が好きになり、またやりたいなと漏らす咲に、全国大会に行けば合宿がありますよ///と返す和。
このシーンでは珍しく、一部を除いて木陰の人物には影ができません。枚数も多く使った芝居は幼い印象で、過去のトラウマではない、今の純粋な願いがそうさせたのでしょう。

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一方『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』第一話アバンでは、穏乃が枯れ木から飛び降りて走りだし、影から飛び出します。樹の下で本を読んで座っていた咲との対比はもちろんのこと、まるで『咲-Saki-』シリーズの雰囲気を払拭するような始まりです。

都会から引っ越してきた和に友だちになろうと声をかける、そんな普通の事をきっかけとして動き出した物語は、遊ぶための道具として麻雀が描かれています。ノリとしてはなにしてあそぼっか→麻雀ぐらいの気軽さで。
しかし進路や転校といった自然な形で疎遠になり、この物語は霧散してしまいます。

TVに一人映る和を見て「またみんなではしゃごう、そして全国に行こう。遊ぶんだ、和と!」というように、中3と高1にしては非常に子供っぽい、単純な理由でこの物語は再び構築されます。麻雀に対しての拘りからはじめに道を違えた憧でしたが、この屈託のない決断こそ阿知賀編でしょう。

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咲のセカイは麻雀が圧倒的な認知度であったり、小さい頃から習得する環境が整っていたりといった歪な設定から、どこか強迫観念めいたものがあるんですよね。そこに様々な人生を感じさせる『咲-Saki-』という作品は非常にドラマチックでした。そんなシリーズにあって、友達と再会して遊ぶためだけに麻雀に挑む『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』の面々の想いは幼くも眩しく、愛おしいと感じます。
両者は視聴してみると、かなり感覚が異なるように感じました。その理由は麻雀に対するスタンスの違いからですが、一つ共通している点があります。それは咲で何度も繰り返され、阿知賀で暗に示されている【麻雀が楽しい】ということです。これが両作品における絶対不変なルール、【影】を産み出すもしくは【影】そのものである、【光】なのではないでしょうか。
以上長々と語りましたが、『咲-Saki-』最終話の、今まで敵として打ってきた各校が勢ぞろいする合宿が始まるシーンで今回の記事を締めたいと思います。

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あとがき
正直咲と阿知賀について語りたいことはいくらでもあります。ただツイッター

#咲 一話、トラウマ系の文脈だったんだなぁ。音楽結構阿知と共通してる。文学少女-咲-は儚げで美しいのね。百合、穿いてない、タコスといった目立つ行儀の悪さと、類まれな強運を引き分けにのみ使う、試合運びの悪趣味さとの相乗効果が面白い。

と一言呟いたことをブログで記事にするのに2日ぐらい費やしてしまうのが私なので、どうにも無理そう…。阿知賀の桜色フィルターが共通目標であるとか、ドラをひく能力のメンバー収集だとかほんといっぱいあります。どんどんパクってくれてもいいのよ。
とりあえずもう少し軽いネタで定期的に触れたいと思っています。思ってるだけかもですが。
ここまで読んで下さってありがとうございました。感謝。