涼宮ハルヒの憂鬱 涼宮ハルヒの溜息4 〜アニメ版ハルヒはかわいすぎる〜

まず作品として語るには溜息は原作2巻であることを念頭に置くべき。
だからハルヒはわがままになって主人公のキョンと対立しなければならない。1巻が壮大なハルヒの告白というか、キョンの理想を勝手に体現させてくれるような存在だから。だから部内でなにもしないキョンが行動するというカタルシスを含んだ物語となる。
そういうふうに小説では読んでいた。だからハルヒへの作家の待遇が酷すぎる、不遇すぎると考えていたけれど、アニメ版を見ると印象が変わった。
とにかくハルヒがやりすぎていく様を、周りが止めずなんとなく受け入れ、何もしなかったキョンがとうとうブチ切れるという、ただのコミュ不全の人間が爆発するというよくありそうな光景に映った。それは小説のキョンという視点から映像という場面の傍観者となっているからこそだと思う。ハルヒは基本そういうレイアウトをとっている。
そうしてみるとやはりハルヒキョンを楽しませようと頑張って、そしてやりすぎてしまっているという大原則を見失わずにすむ(ちなみにこれは明言されてない、がその流れを示唆しているし、否定される要素はないはず多分絶対きっと・・・)。芝居としても、キスのくだりでだんだん調子に乗りつつも、ちょっとやりすぎてしまったかなという表情を残している辺りは京都の人は流石にわかってらっしゃると思った。
しかし長門・みくる・古泉は殉教者ぶってるけれど、どうなんだろう。キョンを止めた古泉が同学年とは思えん。まぁこの三人は仕事で来てるから仕方がないのだけれど、ハルヒは本当にSOS団がいいのか?そこの垣根をなくし、学園生活をリア充みたいな感じで楽しくすごさせるのが最大の目的ともいえるけれど、それって話として面白いのだろうかとも思うので、今のままトンデモSFでかき回してもらいたい。
あとハルヒが映画撮影が進むごとにだんだんイライラしてるのが演技で見れたような気がする。主観入ってるかも知れないけれど。この辺りはもう自分がハルヒ好きすぎて判断できないな。自分の撮りたいものとのギャップでだんだん壊れるというかんじ。そしてだれも建設的なことしてくれないし言ってくれないというジレンマ。

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ハルヒキョンのケンカ部分、不安感をあおるBGMもそうだし、映像的にもカメラを斜めに傾けて違和感を出していた。これはうみねこの8話?の嘉音ブレードのくだりでもずっとやってたなぁとぼんやり思った。いわゆる幻想パートで、こちらも違和感というか、異世界を表現していた。