ヒャッコとかしまし1話の音の厚み

ヒャッコの音響関係が酷くて(上坪亮樹の)映像が楽しめない。
サントラを聴くとものすごくゲームっぽい。全体的にちぐはぐで統一したイメージが皆無。音楽的な質は高いのだけれど。
これは確かに使いにくそう。
実際本編でBGMを使ってるところはかなり抑え目に使っている。使用頻度もそうだけれど音量的にも声に隠れるぐらいのレベル。
そういった意味でBGMを使わないアニメがあったなぁと。かしまし1話がそれ。
かしまし1話はBGMを一切用いていないが、しかし音の厚み(音の量)がかなりあった。効果音だ。
登場人物の視点がかなりの頻度で変わっていくこのアニメではとにかく場面説明のためのSEが頭に叩きつけるように鳴っている。
川のせせらぎ、鳥のさえずり、自転車の停止音に、水を飲むところでは蛇口の閉める音まできっちりと入っている。
それらがかなりはっきりと、意識的に、声に負けない音量で使われている。
ヒャッコも効果音を使用している。BGMが目立たない分相対的に目立つといえば目立つが、やはり効果的に使用している感じはしない。なにせ音量が小さい。
声以外の音は深層意識で理解するものだから意識的に理解する必要はない。それは理念ではあるけれど、実際はきちんと聞かせた上で、それが自覚しないように使われるべきだと思っている。
それにヒャッコはストーリーとしてのドラマではなく、ギャグである。出てくる登場人物の考え方も全くリアルではなく、アニメ的な配役である。彼らが繰り広げられる展開に実写ドラマのような、リアル思考の音響演出など意味がなく、話も持たない。
そういう意味ではかしましはアニメてきではあるけれど、ドラマであり、会話だけでも全然話がもっていた。
福田道生監督は映像演出だけで勝負したのかなぁ・・・個人的には責任は音響監督じゃないかなぁと思っているのだけれど。