コミックスから見るアニメ版かしまし3

笑っちゃうぐらい昨日の内容がアレだったので、今日はちょっとはましなものにする気です。そのためわざわざ今までのかしまし記事を印刷までして望むしだいです。(学校の印刷機で自分のブログを印刷している姿は誰にも見られたくないな)
まぁそしたらかぶってるかぶってる。逆に言うと追加・変更されたシーンはそれだけ理由があるということで、そしてそれがアニメ版キャラの特徴の一端でもあるということですよ。
かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜公式HP
今日はまとめます(決意表明)。というかまとまります。
ネタバレって、もう書かなくていいですか(斎藤桃子と思いねぇ)
まず①②で書いたことをキャラごとにまとめましょう。加えて補足も入れますが。基本的に①②を見なくても言いようにしたいと思います。
はずむ

  • やすなから逃げようとする描写が無く、むしろ仲良くしたいと考えている。
  • 女になっていることを受け入れている。
  • とまりの表情に気づいたりせず、二人を失いたくないと考えても恋とは何かとは考えなかった。
  • 幼いころの約束について大幅な変更。川を渡れば結婚するというドラマチックな展開
  • やすなと二人きりの水族館ではしゃぐ

とまり

  • はずむとやすなが仲良さそうにしているのを見てとても不安になる。(②で抜けていた)
  • 昔の似顔絵・中学時代の思い出など、幼馴染であったエピソードがちらほら(これも②で抜けていた。それだけ前回の記事は穴だらけということ)
  • やすなと仲良くしようとする。

やすな

  • やすなの病気は自分の心の弱さが原因であることを示唆するようなエピソードの挿入。
  • 皆を傷つけまいとして一人で生きていくことを決めていたが、本当は一人は嫌だと感じていた。
  • やすなの性格が柔らかくなっている。
  • 宇宙人の調査内容がやすなの病気の改善になっている。
  • だんだん他のものに興味を持つような描写の挿入、特にとまりとの関係が良くなっていくことに喜ぶ
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はずむ
まず、とまりの表情の意味に気づくという重要なエピソードをカットした理由です。
これは11話であゆきに「自分を一番大事に考えている」と指摘されるためでしょう。優柔不断で自分が傷つきたくないと考えているはずむが一人の女性を悩む姿を描いているのだと思います。そのためか全体的に楽観的に・そして無頓着に・鈍感に変更されています。それは発言の端々や性的な事に悩む描写が少ない事にも現れています。
やすなに対して逃げようとする描写が無いのも非常に大きな変更点です。
やすながはずむに突然告白するエピソードが無く、むしろやすなが離れていたのをはずむが掴むというのがアニメ版であり、そのため逃げる描写が無いという風にも見えます。
しかしここで重要な仮説が成り立ちます。もしコミックス版でやすながはずむを告白せず避け続けた場合、アニメ版のように友達になろうと言えたかです。
コミックス版でははずむはやすなにフラレタ後に自分がもう傷つきたくないから壁を作ったと独白します。実ははずむが性的な悩み−女の子になったから・・・と考える大部分が、やすながはずむに接近した後に挿入されます。女の子になったことを理由にやすなを避けようと考えるのですが、これは逆にやすなを避けるために女の子になったからと言い訳していると考えられます。
しかしアニメ版では女の子になったからと言い訳するシーンが圧倒的にボリュームダウンしています。アニメ版でさほど性的な悩みを少なくしたのはやすなに言い訳する必要が無い−つまり壁が無いことをあらわすためだと思います。
自分を大事にするアニメ版はずむが壁を作っていないのはなぜでしょうか。これはやすなへの気持ちを恋愛対象でなく友情として吹っ切ったという可能性が考えられます。
最後にとまりとの関係です。
アニメ版ではとまりとの約束がドラマチックに描かれていました。子供のころの約束である川を渡れば結婚するという内容ですが、6話でなぜあれだけの演出を行ったのでしょうか。
「やすなとキスしようとしたけれど、とまりとの昔の約束があるから出来なかった」という意味で川を渡るのですが、単純にどちらも大切だからということならば、あれだけ追加修正するのでしょうか?そうではなく、とまりとの約束があるからやすなとはキスできない−とまりとの約束がそれだけ重要であったということを表したかったのかもしれません。

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とまり
はずむとやすなが仲良くするシーンに不安を覚える場面が多くありました。またとまりは自分がはずむと仲が良いことをやすなに言う、CDを返すという口実で家に行くといった場面が随所に見られました。
これはすでに書いたのですが、コミックスよりもう少し弱い女の子にさせたかったのではと思います(ただコミックスではずむとやすなが仲良くしているシーンがほとんど無かったため、不安にならなかっただけだと思われますが)。
また幼馴染を意識させるエピソードがちらほらあります
これも既出ですが、本当は弱いとまりが常に強くありつづけたのは、子供のころからはずむを守ろうとして、守ることを理由にして傍に居続けるためです。ではなぜ守る位置についたのか。それは昔の約束から続いている関係だからではないでしょうか。昔の約束のときから守る立場に居たとまりは、それを維持しようと常に守る立場に居たのではと思います(ちょっとこれは想像を膨らませすぎているかもしれません)。
幼馴染のエピソードはそういった昔から続いている関係から約束までを彩り、アニメ版での二人の関係に重みを持たせるものになっていると思います。

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やすな
まずやすなの病気からです。
あまりコミックスでは重視されていないやすなの病気ですが、アニメでは一大テーマになっています。これも大部分は既出です
まずコミックス版の宇宙人の星では”感情を捨てたことによる生殖機能の弱体化”
アニメ版の宇宙人の星では”対象物への興味の減少による固体認識の弱体化
両者とも恋愛が解決の糸口ではと考えています。
コミックス版のやすなはなぜ見えないかについてはまったく言及されていません。が、生まれたときから見えないようなニュアンスがあります。
見えないことで他の人と自分は違うと壁を作り、別に見えなくていい、一人でいいと考えていたようです。
しかし男の人が「皆の気持ち、わかっているから」と植物と語る場面を目撃し、興味を持って見たらはずむの姿が見え、そのことに驚き、恥ずかしがります。それ以降はだんだん好きになって、だんだん見えてきたと語ります。そして結論付けます。「どうしてあなただけは見えるのか。どうして彼の姿が見えるか今ならわかる。あなたの愛を受けて輝く緑のように私もあなたの傍でゆれていたい」
アニメ版では明らかなことは言及されていませんが、昔は見えていたが父親に怒られることをきっかけに見えなくなったシーンがあります。
自分が見えないことで他の人を傷つけてしまうため一人で生きる事を決意します。
ある日フルートを吹いていたやすなが窓を見上げると植物を世話している男の子が目に入ります。見える男の子が。驚きを超えて革命とまで言った後、はじめから好きだったといいます。
ここで面白いのはアニメ版の方がやすなの病気の症状について詳しく説明しているにもかかわらず、はずむが見える理由・過程については描かれていないということです。
アニメ版宇宙人の解説を参考にすると、明らかにコミックス版の過程のほうがしっくり来ると思いませんか?
逆に言うとコミックス版の過程では都合が悪いということです。さてコミックス版の過程でアニメが進むとどう不都合が起こるのでしょうか。
まずやすなが幸せになる状況を考えて見ましょう。一番ハッピーエンドなのははずむと付き合えて世界も見えるようになる、もしくは見え始めることです。あとははずむと付き合うだけ、そして見えるようになるだけというパターンが考えられます。(ちなみにはずむが誰とも付き合わない、三人がくっつくという可能性は製作サイドが考えなかったので排除します)
コミックス版では人に対してまったく興味が無かったやすなが、植物を愛する優しい空気を持つはずむを知り、興味を持ちます。と、初めて異性を見て恥ずかしいという意識が芽生えます。はずむをだんだん知って、だんだん見えるようになり、そして好きになっていくといいます。あなたの傍にいて一緒に生きていたいと思うようにさえなります。
つまり異性として意識し、だんだんはずむに対して惹かれていくという過程になってしまうわけで、男の子が見えたことによる衝撃が薄れてしまうわけです。するとどうでしょう。アニメ版のやすなは孤独を抱えており、潜在的に世界を広げたいと考えていたけれど、好きになって見えていく過程を通るとどうしてもそれは純粋な恋になってしまうわけです。
そして純粋な恋になったとき、やすなの情熱は全てはずむに注がれ回りが見えにくくなってしまうでしょう。そしてやすなかとまりどちらかの幸せを描こうとするともう一方が不幸になってしまうのです。
実際コミックス16話までの展開で片方が選ばれるとしたらそれはとても不幸な結末でしょう。どちらかが選ばれるなら、片方は選ばれないのです。しかし選ばれなくても幸せになってほしい。その結果が花田さんのインタビューであった「やすなは本当の恋ではない」というのと花田さんのインタビューである「やすなの自立物語」であるわけです。
そのためには人柄に惹かれた結果見えるのではなく、突然見える人が現れたということにした方が都合が良いわけです。なにせ革命とまで表現したのですから、見えたことに対しての喜びといったら無いでしょう。そうすることで一人で生きていたやすなは希望を見出したわけです。
もちろんやすなははずむに惹かれました。それは作品中でもとまりといっしょの気持ちと連呼され、またやすなの想いも描かれたことからも明白です。本気で好きにならなければやすなが見えるようになることは無かったのではないでしょうか。しかし惹かれたきっかけは見えた事が大部分を占めるのです。
とまりとの関係についても大幅に変更されています。
やすなの世界を広げる役割としては非常に重要な位置にあったとおもいます。はずむとの関係だけでは恋愛になるだけであり、やすなの成長にはとまりが必要だったといえるでしょう。
やすなは怒られたという些細なことで男性が見えなくなっていました。そして様々なことから逃げるのですが、はずむを通して世界に興味を持ち、とまりという新たな世界を知ります。それは自分にとって心地良いものではなく、時に傷つけられることも不安になることもありました。しかし、最終的には自分でその世界と向き合っていくことで一つ一つ成長をしていきます。
やすなにとってはずむがきっかけであり、とまりこそ成長のパートナーであったわけです。

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以上で大体のことはまとまったのではないかと思います。
次回は書き残したことを書きます。日にち空けたら抜けている部分が見えてくるでしょうしね。