その 燃えという免罪符は?・・・

またもてけと〜に決めたタイトル。今回の紹介するタイトルは魔法少女リリカルなのは(わ〜ぱふぱふ)。この夏足を怪我して動けないときにひたすら見てました。そのはまりっぷりたるや、ドラマCDまでゲットするという体たらく。

ちなみに自分は評判のいいA's(続編)を先に見てからだったので無印にはやや批判的です。ネタばれも含めて以降を読む場合気をつけてください。
今回語りたいのはなのはを見て残念だったこと
あらすじは、異次元で発掘したすっごい力を持った石が事故でばらばらになり、地球の日本の主人公の町に散らばる。発掘した人は暴走しがちな石を集めようとするが石の生み出す魔物にやられてしまう。そこで現地にいた人に力を与えて代わりに集めてもらう・・・っておぉベタ!
wikipediaであるとおり、変身シーンや願いをかなえるが暴走する石と、それに魅入られる人といった設定など、序盤は変身ヒロイン風味ですが(というても自分はこういったアニメをほとんど見たことがないのでよくわからないんですけどね。全てを知っているのはCCさくらの漫画だけです)登場するライバルフェイトの登場からバトルが前面に押し出されたアニメとなり、戦うことを嫌う二人が同じ目的を共有するがゆえに戦い続け、そして惹かれあう二人の姿は、最終的に熱血魔法バトルアニメという感じになります。特に中盤に繰り返される主人公なのはとフェイトの対決はなかなか熱いです(というか暑苦しいに近いですね。絵柄によっては失敗する可能性もあると思います)。このあたりは昨今のアニメでは非常に珍しい気が・・・。
しかし、ね。後半十一話の特に終盤から非常に残念な結果になる。この話で本当に突然、今まで戦っていた理由である母親の望みは、自分の娘を生き返らせるためのもので、フェイトはその道具であると告げられた。茫然自失とするフェイト(と視聴者)だが、ろくな描写もないまま十二話の真ん中では、すでに戦闘に復帰するという突然さ。そのあと母親との邂逅もあっさり否定され、拒絶されるという。まぁ十三話でその後をきっちり語りたいということはわかるのだが、それにしても話の構成で失敗しているとしかいえない。
話を作るうえで何事も突然はよくない。もちろん突然の出来事というのは日常では当たり前であり、そういったことを表現する手法というのは否定するつもりはないです。ストーリー中フェイトが娘とは思えないような体罰を受けている点や、昔は(母親は)やさしかったんだよという台詞など伏線がないことはない。しかし、十一話の冒頭でフェイトの家族の事いわなくていいの?という台詞や、やさしい母親の記憶でアリシアと呼ばれるといった直接的な表現が出てきた。そしてその後半に突然のカミングアウトで茫然自失となるフェイト。突然の告白で視聴者に茫然自失を演出するためかもしれない。しかし、それにしては十一話の冒頭は説明的過ぎる感じは否めない。茫然自失としたのは視聴者ではなくフェイトであるのだ。だが次の話で即戦闘再開を行えるようになるには、間違いなくフェイトの準備が足りないだろう。もっと前から自分の母親の疑問を少しでも示すそぶりがあればあの復帰は納得はいくが、間違いなく話の中でフェイトは母親を妄信していた。フェイトが復帰する際の台詞「このまま終わるのはいやだよね。・・・本当の自分をはじめるために、今までの自分を終わらせよう」は非常に力強くとても感動した。この台詞を言わせるための準備が見たかった。それがリリカルなのはを見て悔しくてならないことでした。