その 灰色の羽は・・・

上のタイトルはもちろん意味は考えずにつけました(オイ)
ということで灰羽連盟雑感です(ARIAじゃないんだ・・・って書くことないよあれじゃあ)。

うぃきぺでぃあでなんとなく見つけて、全話見ました。

wikipediaで見つけてその後どこかのサイトで見たのかな。忘れたけど、昨今の萌アニメとは一線を画き、アメリカ等では最近のジブリを超えているという声もあるというような文だったと記憶している。そのためついジブリと比較して見てしまった。しかしメディアが異なっているのだ。二時間を一回で見る映画と30分で全13回を毎週見るアニメとは描けるものも、表現する方法もまったく異なるのだ。そこを同列に話を進めることがそもそもの間違いである。と理解はしているが、登場キャラの透明感や、淡々とした表現、設定の裏にあるメッセージや語られない世界観等はジブリ映画に非常に近いものを感じました。なのでそういった見せ方のことについて触れたいと思います。ちなみにものすっごくネタばれします。お気をつけて。
アニメを見て思ったのは、萌アニメやギャグアニメはもうお腹いっぱいといった人は見てみるといいかもです。物語を素直に楽しめる人や、隠れた設定を楽しむ人ならばとても面白いと思います。ただ中途半端に臨むと裏切られます。ちまみに自分は後者でした。
この話を知らない人は設定を先に公式HPでチェックしてください(うまく文章化できなかったので)。
本編は一話から五話までは灰羽の生活を、六話で一番小さい灰羽が消え、七話から九話まで、主人公ラッカの悲しみ、そのことからくる心の病から罪憑きとなり(灰色の羽が黒くなる。はじめに見た夢を思い出せない場合に起こる症状で、悪い灰羽とされる)、そして灰羽の世界や設定、そしてラッカの夢の内容といったことが抽象的に語られ、罪憑きでなくなる。九話からは隠れ罪憑きであり、仲間と思ったラッカが罪憑きから脱却したの姿を見たレキの過去や心情、そして夢と真の名前といった設定がまたも抽象的に語らる。またレキやラッカは罪憑きとして灰羽をやめるか、灰羽として消えるか選ばなければならないことを知る。十三話で罪憑きで行こうとするレキをラッカが救うという感じになっている。
一話から見ているとレキが新米灰羽のラッカに非常に優しくしてくれるのがわかる。これは罪憑きの罪から逃れるためにラッカに親切にしていたということで、この悩みを抱えたレキの心をラッカが救済するという話であり、これが本編で通したストーリーであると考えられる。冒頭でも述べたのですが、透明なキャラや丁寧な世界観や特に抽象的な設定はジブリと似ている。
しかし、抽象的な設定というのは厄介なもので、もしその点が気になると設定に意識が引きずられるということが起こる。するとどうしても話をすんなりと受け入れなくなってしまうものである。ジブリなどの映画では二時間という中にキャラや世界の説明・設定や話の筋というものが詰め込まれており、それをただ追うので精一杯になる。もちろん見終わった後にそれらが澱となって噛み締めることができる。しかしアニメでは含んだ設定が出ると次の放送までに考える時間ができてしまう。そうして考えるのだが、もちろんすべての情報が既出ではない状況での思索はミスリードを生む。このまちがった思考が話を素直に受け入れることができにくくするのだ。
灰羽では抽象的な設定が非常に多く、そのメタファーは最後の最後までわからなくなっている(というよりも最後でもわからない)。レキの真の名前は夢に出てきた石ころの礫ではなく、忘れていた夢の続きである轢断の轢であるという。レキはずっと探していた罪を償うはずの夢の続きが轢断という事実を知りすべてに絶望する。この事実は灰羽の存在を指し示す事柄であると考えられるのだが、しかしこの轢という字は話の中で独特の字体で一瞬しか表示されない。その後台詞で引き裂かれたるものなどと言うが、それは親しかったクラモリとの別れの暗喩でもあり、轢断と結び付けにくかった。結局その後10分後ぐらいに夢の列車がレキを轢きかけるのだが、このときに初めて私は轢断のレキであると気づき、もう一度見ることで初めて灰羽の意味に気づけたのだ。
このことに気づけば後はパズルのようにいろいろつながるのだが、この重要な轢は非常にわかりづらい。こういうミスは、本当にちょっとしたことなのだが、しかし致命的なものだと思う。灰羽の世界を最大に生かすのはやはり漫画が一番ではないだろうか。と調べると、この原作は同人誌の「オールドホームの灰羽達」で描きかけていたものをアニメに変えて表現したらしいのだ。シナリオの人が漫画の人だったんですね。ならばやはりもう少し製作のほうで工夫してほしかったです。後はそう、もっと日常が見たかった。というか本当に五話まではラッカ灰羽日記だとばかり思っていたんですよ。言葉遊びと小難しいメタファーの連発はあまり好ましくないと思います。アニメは基本的に一度きりなので。そういった表現は漫画に任せましょう。これだけなんですよ。言いたいことは。アニメは絵と空気と音楽で魅せるのが得意だと思います。だからキャラ寄りになるんですよね。