ARIA The ORIGINATIONのオリジネーション

アリアのサブタイトルに込められた意味、NATURALはなんであったのか忘れてしまった自分が今回オリジネーションについて考えるというのは過ぎたことである。
ラジオずっと聴き続けてればよかったなぁ。
そもそもNATURAL時代からARIA熱は冷めてた自分。それでもORIGINATIONである三期にはアニメから入ったファンとして失望していた。
というかARIA臭がほとんど感じなかった。
誰かが書いていた「オリジネーションによるオリジナル展開」と。でもそもそもARIAは尺の足りないエピソードを登場人物を増やす事で、会話の間を見せる事で時間を埋めていた。時にはオリジナルエピソードを入れることも全くためらわなかった。それが原作ファンには問題になっていたり、NATURALの嘘臭さにもつながったが、ARIAという作品は既にマンガとは異なるものを形作っていたと思う。
にもかかわらず今更オリジネーションとはこれいかに。実際三期、脚本がばりばりオリジナル路線かというとそうでもない。確かにオリジナルエピソードを既に3本終えた。が、それがこの違和感の原因では決してない。
ARIA熱が冷めたNATURALは、とにかく全キャラをほぼ必ず一つのエピソードに絡めたため、似通った展開が2クール続き冗長に感じた。しかし今回はとにかく見ててこれはARIAじゃないという思いが頭にあり、作品が楽しめない。
この前作との差はなんなのか?もちろん制作スタッフの微妙な変更点はある。そして4:3からワイドへの変更というのは大きな変更点だと思う。
しかしアニメの制作というのはたいがいこういった変更をものともしない。作家というのは大概凄いもので、視聴者に対して違和感を感じさせないように作れたりするものである。大勢で、そして不定期なメンバーで作るアニメであるからこそ得意な面というのもある(もちろん大勢、そして時間的にどうしても妥協する部分が出るというのもあるが)。
一人原画、CG。これらは今までのARIAには見られない演出だった。こういった作品内で浮きがちな演出を思えばARIAはしてこなかった。尺の足りないエピソードを伸ばす技術が確立しており常に安定した作画、演出を行っていた。セリフの合間の音楽と作画のバランス、テンポが空気感となってアニメ版ARIAを形作っていた(マンガだと大ゴマ引き絵)。それこそが深夜帯アニメでARIAが注目を浴びたまったり感であった。しかし今のARIAはそのまったりを感じれない。どちらかというと攻撃的な、せわしなさを感じる。
それがようやくしっくりと自分になじみ始めたのが5話の四葉のクローバー辺りだった。全体的に焦りが見える今期ARIAは飛び立つ鳥が象徴するようにウンディーネになろうとする三人の想いと成長を描き続けている。そこに日常的なエッセンスを感じない、いや感じさせないようにしている。NATURALなら5話の最後は見習い3人で終わらせていただろう。そういえばアテナのフォローをカットして、より孤独感も出していた。
一期のANIMATIONでも二期のNATURALでも常にキャラクターたちは全員一緒に一つのエピソードに絡んできた。こうすることでキャラクターたちの関係性、横の繋がりを空気感として描き続けていた。しかし先にあげたようにそういった横のキャラクターを出さずに余った尺をメインキャラの内面に使用している。この演出こそが今までのアニメ版ARIAに対してのORIGINATIONであると考える。
最後に、まずANIMATIONは非情に素晴らしかった。1クールでARIAという作品を十分楽しめるような構成となっていた。これはNATURALで述べたキャラクターの関係性、空気がだんだんわかる面白さ。情報があるともいえる。そしてNATURAL。これは2クールで今まで述べたような作風が続く冗長な展開で、情報がほとんどないといえる。もちろんそういった空気を維持しつつ楽しませるというのはわかるが。しかし後半3話で三人がウンディーネについて具体的に意識し始めた。このエピソードはNATURALでも動きのある方に分類されるのだけれど、放送が終了し尻切れトンボで終わってしまった。それがORIGINATIONではウンディーネに向かって一直線のような構成である。アニメ版アリス描写では漫画のエピソードを入れ替えた構成で、アテナとの距離を縮めていき、信頼まで勝ち得、キャラクターの成長を描ききっている。こういったARIAの構成の妙がきっとORIGINATIONでは常に楽しめるようになっていると考える。