クラナドのためにもう一回見てみようシリーズ①

ということで午後三時からぶっ続けでkanonを見直した。
二回目見直してーというかあれだね。やっぱAIRKanonで斜に構えてしまったのはよくなかった。KanonAIRAirをもっと叩くべきだった。いいじゃない、都合よくてもいいじゃない、なーんて。
子狐ヘレンの動物的なわかれでは確かに泣けるけど、どっちかってゆーとよかったねというほうが強かったため、Kanonはぜんぜん悲しくないし、むしろ和む方向で。
ひぐらしは自分の中でかなり大きかった。「うぐぅ」とか「だよ」とかに違和感を感じなくなった。駄目進化だとしか思えないけれどこれで今まで避けていた作品を楽しめる事ができると思うとやっぱりこれはいいことなのかもしれない。
通してみるとやっぱ全体の流れがわかるからよい。きっとクラナドもそうだと思う、思いたい。
全体的なエピソードのつくりが、主人公が同じなだけの美少女たちと毎話絡むBOYS BE…的な話だ。というか別にそれはいいんだけど、主人公が一話の中でいろいろな女の子に話しかけて少しずつ問題を解決する様が「あぁ、同時キャラ攻略って大変なんだなぁ」なんて。ていうかおかしくないか?どんだけバイタリティー&メンタリティーあるんだよ。あんなの動画で魅せられたら違和感バリバリだって。
といつもながらの愚痴に拍車をかけて、なんせ5人ぐらいにずっととっかえひっかえ話しかけてたからなぁ。しかもみんな問題抱えてるときたもんだ。
それもこれも演出にりき入ってるからっていうのもあるとは思うんですけどね。
かなりこれは評価すべきだと思うんですよ。どんな話でもこれだけ演出丁寧にしてくれれば見てて十分面白い作品になるってことを。だからこその京アニ信者とか賛歌とかなんだろうけれど。
で、一番好きだったというか、いいな、なんて思ったのが、真琴と別れるシーン。主人公が真琴のためにいろいろしてあげたあとに「これでお前の願いはすべてかなったと信じた(以下略)」この相手を思いやる行動のあとに自己満足の独白っていうのが大好きだった。
もし「うぐぅ」とか「だよ」とかに耐えうるんならまぁ10話ぐらいまでは見てほしい。多分本来のkanonは11話以降のほうが伝わりそうだけど、なんか完全に別エピソードとして成り立ってる。