映像で選ぶ、2013年アニメOP・ED・劇中音響3選

2013年で特に好きだったOP・ED・劇中音響を映像観点で3作品ずつ選びました。
この記事のために毎クールOP・EDのメモを残しています。興味がある方は[2013アニソン]のタグでまとめてありますので、覗いていただければと思います。

OP

ED

劇中音響

OP


自分たちがクラスでは中の下から中の上に位置していると自覚している歌ですが、彼女たちは自己アピールに貪欲です。
冒頭から逆光気味の後ろ姿というのがすでに他とは違うという意志の現れのように見えますし、一人三回与えられた紹介パートは作画的にも存分に魅力を発揮しています。
そこで気になるのがアピールのベクトルですが、これは言うまでもなくラストカットの全員が集合する写真でしょう。子供っぽい者は積極的にくっつき、大人びている者は後ろから包みます。
彼女たちは皆から好意を持たれる八方美人のようなクラス内ヒエラルキー上位を目指しません。没個性というように埋もれる事をよしともしません。自分らしく振る舞いながら、ただ一人のために立ち位置を確立し、さりとて周囲には気を配る。そんな居心地の良い場所を作っていくのが2軍のファンタジスタなのでしょう。


視聴者の感情を誘導するということについて、露骨で自覚的な映像です。
男の子が仲間達に守られながら成長していきますが、みんなで笑い合う日々はセピア色に変わります。視聴者を昂ぶらせるようにカットを積み上げていくのですが、良い所で崩されてしまいます。
次のメロディーでは、様々な表情で女性たちに見守られ、男性たちは決意するように目を細めますが、一人の少女の挫折によって世界の色は滲んでしまいます。またダメだったのです。
そしてフレーズは繰り返されます。男性たちが崩れ落ち、無機質な道具だけが置かれ、闇の中を逃げる少年。まるで止めと言わんばかりに畳み掛けてきますが、闇になる瞬間、新たなフレーズと光の渦によって世界は一変します。
この下げて上げる典型的な揺さぶりの映像ですが、表情やパーツの絶妙なニュアンスによって、1カット毎に込められた情感が凄まじく、その豪速球に完全に抑えられました。


再放送でOPが新規追加されたのですが、全く出し惜しみをしない贅沢な作りです。
作品に合わせて楽曲を作るsupercellを起用し、時代劇調の本作らしい和風ロックに仕上げています。導入に語りを取り入れ、刀のSEをアクセントとして使用しているなど、恥ずかしいぐらい直球なアニソンです。
本編から研ぎ澄まされた力強いカットを選び、流れるようなカメラワークで繋ぎあわせていく様は、刀と捌きを想像させます。また、透過処理を加えてキャラクターの情景や心情を重ねていく様は、雄弁な語りでしょう。
このようにタイトルをモチーフとした映像作りに、絶対に伝えるという気迫を感じます。
ED

  • GJ部』「I wish 〜ときめきの魔法〜」


今年は『ステラ女学院高等科C3部』や『這いよれ!ニャル子さんW』、『機巧少女は傷つかない』といったモーショングラフィックス系のEDがとても豊富でした。その中で『GJ部』を選んだのは、ひとえにどこを観ても楽しいからです。
素材に動きを後付けしていくため、手を入れるほど自然と音楽に沿っていく傾向があるように思います。そうなるとわざとらしく感じることもあるのですが、明るい楽曲にのって二人が終始楽しそうにリズムを取っている姿に、野暮なことは思い浮かびませんでした。
楽しいというのは溢れ、伝播し、増殖するものです。そんじょそこらの躓き程度であれば、笑顔を浮かべれて当然なのです。


画面に映っているものだけでは見えないモノもある。そんな当たり前ですが、つい見逃してしまいがちな事がよくわかる映像です。
各キャラクターの学校内の1コマ、グループの学校外の1コマという順で静止画が続きます。ただ静止画が並ぶ映像だなぁという印象ですが、公園で皆が空を仰ぎ、先ほどの学校内の1コマから人物が消えた静止画が続くことで、卒業の情景であることがわかります。
ただしそれでは、おそらく一番心を揺さぶられるであろう、サビの際に挿入される増殖もしくは爆発するイメージシーンを見過ごしているといえます。静止画の写実的なカットから動的なイメージへと変化する、その緩急に心揺さぶられるわけですが、そのイメージの正体とは何でしょう。
いとうかなこ トポロジー@TV ANIMATION ROBOTICS;NOTES
CDのジャケットを見ると点と点を線で結んだ図が描かれています。これを観てまず思い浮かぶのがコンピューターネットワークのトポロジーでした。
ネットワーク・トポロジー@Wikipedia
ネットワークという繋がりを抽象化し、コンピューター端末を点に、その結びつきを線として図形にしたものですが、ここで重要視されているのは点ではなくどのように繋がっているのかです。
ロボットから校舎、校外というように舞台は外に向かい、出演する人物も増えていきます。チュウタネロボ部である彼女らは卒業していくわけですが、残るものもあります。きっとこのニンゲンを模したシステムの構築を継ぐ人たちが現れるでしょう。


あらゆるものが美しいという一言に尽きます。
コンビナートのような船や変化していく雲、波の煌きや満天の星といったように、驚くほど細かく描かれた背景には、ため息を漏らします。また風や波を受けながら巧みに帆船をコントロールしていく少女の作画には、目が離せません。キャラクターの間を縫うように浮かんでは消えるスタッフクレジットには、気配りを感じます。
しかし全てが行き届いたような綺麗な画面は、管理されている印象を受けます。波で跳ねても飛べるわけではありません。クレジットは動線を妨害し、ロボットは宇宙へ、帆船は海というように明確にフィールドを区切ります。
そういった分相応で調和のとれた物理法則に対して、彼女は帆船をカイトへと変形させて上空へと飛び立ちます。その思い込みからすり抜ける流れるような動作に、人間と技術の美しさや強さを感じました。

劇中音響


化物語』『偽物語』と続いて創られた『〈物語〉シリーズ セカンドシーズン』では、語り手が阿良々木暦から他のキャラクターへと変化しました。エピソードも人物像の修正や、選ばなかった選択肢の世界や、解決したはずの事象の顛末といった、既にあるものの語り直しとなっています。
映像にモノクロのコマを挟み断片的にしたうえで、設定を絡めた言葉遊びや、特徴的な構図を繰り返しながら本作は進んでいきます。ただし決して単純な繰り返しではなく、同じリズムを繰り返すミニマル・ミュージックにキャラクターソングを混ぜて情感的にアレンジするように、語り手による思惑によって再配置されています。
一連のシリーズはキャラクターが本編にコメントを加え、声優が演じた感想を語るなど、立場を変えて何度も振り返りがなされてきました。視聴者はそういった一面的な視点を集めて、多角的に作品を捉えることで、自分だけの物語を楽しめるのです。


動画配信サイトを利用して活動するという身近なアイドル像に対して、廃校を阻止するというドラマチックなお題目が掲げられました。キャラクターが居て、いつでもアイドル活動が行える環境にもかかわらず、目的のために活動することに、筋書きのようなものが見え隠れします。
彼女たちはBGMの転調や、流れてくる歌や、風のSEといった様々な音に導かれるように行動していきます。そうしてアイドル作品ならば当然の帰結というようにライブパートを迎えます。
ただしこのライブパートではCGと作画が入れ替わり立ち代りという映像となっています。そのハイブリッドな映像は、彼女たちがドラマや音楽に引っ張られるのではなく、渾然一体となった姿のように見えます。
それぞれの目的のため、様々なものに影響を受けて今彼女たちは舞台に上がりますが、一視聴者にとっては、そこに映るライブ映像だけが真実なのでしょう。


古くなった住宅が並ぶ町は、シャッターが閉じ、雑草が伸び、プランターが放置されるというように、活気がありません。視界に山が映る景色はどこか閉じ込められた印象を与えます。そんな町で談笑し、生活するクラスメイト達に距離を感じ、自分は特別であると思い込む、若者の憤りに溢れた作品です。
地方都市の現実を突きつけるような環境音や、群衆のざわめきは不快で息苦しいのですが、それに耐える主人公のイメージBGMもまた、ざわつくようなノイズでしかありません。
抑圧から解放された瞬間は不気味な音楽で表現されています。しかしその特殊性すら、OPである「惡の華」がキャラクター毎に作られている事で否定されてしまいます。
こうした問題が、日本の至るところで見られるという事実が、カメラで撮った映像をアニメーションにしたロトスコープという手法だけでなく、音響面でも浮き彫りにされるのです。

むすび

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
本当はどの映像も個別の記事にしたいぐらい思い入れがあるのですが、そうするといつまで経っても更新することが出来なくなると思いますので、駆け足気味に紹介させていただきました。
ところで、こうして記事にしているといつもの事ですが、どこまで言葉を尽くしたところで映像の素晴らしさの前には無価値であるという、当たり前の事を思い知らされます。時間をかけて推敲しても、視聴した際の胸躍る瞬間に全く及ばないというのは、虚しさすら感じます。
それでも言葉にしていくことに意味が無いとは思いません。好きな映像の事を考えるのは楽しいですし、どんどん好きになっていったり、自分のモノになっていく感覚は大切だと思います。
自分の好きという感性を磨くためにもこの記事は続けていきたいと思います。そんな中、もし紹介した映像について興味を持っていただいたのであれば、嬉しく思います。