メガミの新房昭之×山本寛記事を読んでだらっと

ヤマカンの言うぱにぽにで確立した”新房スタイル”は正確に言うと”新房シャフトスタイル”。ヤマカンは言いたいことはわかるのだけれど常に言葉が足りない。シャフトで月詠をやった時にギャグを入れつつかっこよくしたかったけれど破たんしたので、スタッフのやりたいことに合わせるようにしてできたのがぱにぽにのようなスタイル。この一文が新房さんの口からでただけでインタビューの価値がある。
”自由にやらせればやらせるほどアニメーターは力を発揮しますから(中略)みんな押さえつけても反発する連中だから常識の範囲内で好きにやっていいよと(笑)”でヤマカンの常識の範囲外認定を受けたかんなぎ二話はDVD修正で動かなくするという異例の事態
新房さんの”過去の作品で裏切られた”とは未完の新破裏拳ポリマー
演出は新房スタイルともいうべきものなのに原作のイメージから外れていないのはどうやるのかというヤマカンの質問に対し、原作どおりで表現を全く変える(例として絶望のサムシング吉松回)ものをいくつか入れて、普通の路線に戻した時に(視聴者にとって)新鮮味が出る、新鮮な気持ちで見てもらえると答えている。質問に対してはぐらしている感もあるが、視聴者に対してそういった手法でごまかしている部分があると言っているようで面白い。
ひだまり一期で新房さんがコンテ多く書いたのは時間がなかったかららしく、ひだまりのときは楽しくなってコンテ書いてたらしいけれど以降はないらしい。化物語はやらないのかな・・・
丸チョンのコンテでアニメーターに思いのままに頑張ってもらう新房さん。
視聴者が求める美少女キャラを作る時の苦労話で、パンチラを例に思い入れのある人に書かせるのが一番で、あとは視聴者が求めるものと合うかどうか、それが商品価値だと思っていると新房さん。どれだけ自分アピールしないんだと笑った。
ヤマカンが長井龍雪を意識するというのはわかりやすい。同世代で監督業の経験では先を言っているから。あおきえいかんなぎを挙げて、物事を客観的にとらえてしっかり見せる力技が使える若い世代の台頭に自分の演出はもうだめかもという新房さん。物事というのはキャラクターでなくドラマという意味かな。それは奇しくもかんなぎの流れで絶賛評判を落としまくってるヤマカンが言い続けてたものだよなぁと。これからのアニメの流れというか、truetearsとかべたぼめしてたし。ヤマカンはギミック(ドラマのためのギミックは別、具体的にはパロ・自虐・メタ)を一度なくして勝負してみたらいいと思う。というかたぶん次はそうするはず。ダンスは今回でもうやめるって言ってたし。かんなぎはプロデューサに”ヤマカンで始めたからにはヤマカンで終える”と言われてるみたいだし。かんなぎで死んで生まれ変わるんだ。生誕祭だ。ドラマのギミックとしてヤマカンは好き。フルメタ髪切りもかんなぎ一話と二話の演出の差とか。