Mother,Mを取ったら他人です

Gyao:ウィッチブレイド
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登場人物に魅力があるのっていいですよね。一癖も二癖もあるキャラクターが非常に魅力的でした。料理も何も出来ないけれど、娘のためにパトカーさえ盗む雅音(@能登麻美子)とそんな駄目な母親を助ける梨穂子(@神田朱未)。感情表現ストレートな雅音だからこそ親娘の愛をシンプルな魅せ方で表現できたたのではと思います。
また導示重工の派閥争いなど企業内の争いなども面白かったですね。ただし鷹山(@小山力也)は会社内で見るととても格好よかったのですが、雅音への謝罪のシーンが無かったのでちょっとなと思いました。ん〜でも行動で示すタイプなのでしょうね。
これ以降ネタバレします。
もうね、死ぬのは見たくないのに・・・
最近見ていてつらいものばかり見ている気がする。というか萌え以外のアニメは欝になるのは仕様ですか。オタク用アニメってそういうこと?かみちゅでも見て癒されようかな。でもこのあとは13話にあわせてかしましを見なければ。あぁまた泣く。
GONZOって世界観を広げて、キャラも広げて、そこから一つのものを徹底的に描き、そして他のものは最後に出して結局未回収というのが定番になっています。
斗沢フラグとかナソエフ陣営の描き方とか、今回もそんな感じでしたね。でもまぁ話自体はシンプルなのでそこまで気にするほどでもないですか。
もう序盤から雅音の死亡は確定的。ハッピーエンド主義者としてはもうそこがホンと気がかりでした。でも見続けていても死ぬことが確定していくだけでまったく希望が見えてこない。最終的にはもう愛の力でもいいから生きてて〜とか思ったんですけど
通じなかった
で、がっくし。殺すなよ〜と、ここで気づいたのがまたしてもフィルターかかってたってことです。あぁ素直に楽しみたい。
二回目を聴きなおす(FF5やりながらなので)。もう21話から目が離せなかったです。死ぬことを頭で受け入れてから見るともう、生きたいっていう想いがストレートに響き、覚悟を決めそのことをリコ(娘)に説明する場面でやられます。
24話ずっと二人の親子愛が中心にあったと思います。それに付随するように様々な親子がちりばめられていましたがそれは全ておまけです。雅音と梨穂子の愛を24話かけて語るという話でした。いっそナソエフは無くしたほうがより深く企業との対立が描けて面白くなったのではと思います。
最終話の締めくくりはもう美しいのひとこと。死ぬこととナソエフの唐突さと鷹山がリコの横に並ぶ事さえ受け入れればですが。
音楽面・演出面で言いたい事は、もう少し記憶に残りやすいようにしてほしいと思います。感動的な場所はもっと尺を長めにとってほしいですね。すぐに次の、まったく別のシーンが流れるので余韻に浸れません。あと音楽をもうすこしアピールしてもいいのではと思います。
サイキックラバーの最後の歌はよかったんだけどでも微妙。ものごっつい合ってるんですよ。シーンに。ただなんか受け入れられない。この感覚を共感してくれる人はいるのか?

冒頭に書きましたが。もう死ぬのは見たくないです。やっぱアニメで情動が起こる回路が生成されてしまったのです。年をとったせいかもしれませんが。昔はこんなにキャラの生き死にで一喜一憂しなかったのに。もともとハッピーエンド主義者ですがより思います。幸せになってほしいと。でもそうするとこう情動が起こることは無いのでしょう。でも情動が起きなくても良い作品もありますよね。かみちゅとか(しつこい)。
あ、そういえばかしましの後でAirを書くんだっけ。重いな・・・見たくない、うぅ。